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2005年も異常気象。その影響で各地でいろいろな気象現象が起きています。カルフォルニア州の東側にデスバレーという大きな谷があります。その昔、西海岸を目指した開拓者達は様々な苦労を重ねながら夢の地・西海岸を目指しましたが、最後の難所がデスバレーでした。長さ160km、幅8〜24km、年間降水量はたった5cm以下、夏場には摂氏55度にも達する広大で乾燥した谷です。疲れ切った開拓者たちは、この谷を渡りきれずに死んでいったことから『死の谷』の名がついたと言われています。かってこの地は、海の底にありました。南側には塩水が結晶化した白い塩の平原が見られ、この付近は海抜-85mとアメリカで最も低地にあります。
そんなデスバレーに、今年は雨がたくさん降りました。7-8月には、灼熱の谷には花々が一面に咲いていたといいます。少しタイミングを逸しましたが、そんな景色を見たくてデスバレーに向かいました。
アメリカでの移動には、車が欠かせません。できればエレメントをレンタルできれば嬉しいのですが(もちろんエレメントのレンタカーなんてありません)。インターネットで空港のハーツに予約を入れました。一番安い車種で、一週間で261ドル(保険はミニマムを選択)です。用意されたのは新車の韓国製・KIA(名は見ていません)で、一昔前のファミリア相当のサイズ。すんなりと借り出して、走り慣れたロスの街に走り出ました。ハイウエーに出ると、エレメントがたくさん走っています。天候は曇り空ですが、心の中は晴天。ルンルン気分で車を走らせますが、どこか変??? 車のアライメントが悪いのか、手を離すと右に大きくカーブしていきます。常に直進させるために、ハンドルをしっかり握っていなければなりません。「こんな車じゃ、危ない!」
そこで再びハーツに戻り、クレームを付けました。そんな時、消費者が強いアメリカを痛感します。快く交換に応じてくれて、新しい(駐車位置)番号を教えてくれました。そこに駐車していたのはリンカーンの『ゼファー』という車。ピカピカの新車で、フォードグループに属するマツダ・アテンザとプラットフォームを共用しています。レザーシートに座れば快適、快適。これだからアメリカはやめられない!
ロスの不思議なところは、チョット車で移動するとまったく違った表情を見せてくれる。まずアルミを購入に向かったロス市内の街、ここは初めて通る街ですが完全にメキシコです。そこで食べたタコプレート(写真)はとても美味しかった。まるでそこはメキシコそのものです。
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今回は一週間ほどの日程ですが、前半でエレメント関係の買い付けと発送の手続きを済ませ、後半でプチ・ドライブに出かけます。土曜の深夜にロスを出発して、第1目的地のマンザナ(Manzanar)を目指します。この名前を聞いて、どこだか分かる方は少ないと思いますが、第2次大戦勃発により日系人を敵性外国人と見なし、全ての日系人を全米17ヶ所の収容所に収容したそのひとつがある場所です。
マンザナはシエラネバダ山脈とインヨ山脈に挟まれたオーエンスバレーにあり、夏場は40度、冬場は氷点下に達します。そんな厳しい環境に建設された収容所には、荒涼とした500エーカーの土地に10万人以上の日系人が収容されました。因みにオーエンスバレーは、スカイスポーツの世界でも有名で、一気に6000mまで達するような強烈な上昇風で知られています。過去に何度も訪れていますが、マンザナは初めてです。
私がマンザナに到着したのは朝8時、ミュージアムがオープンするのは9時からなので車内で寝袋にくるまり一眠り。外は雪がちらついています。寒さで目が覚めると丁度9時になっていました。終戦を迎えると全ての建物は周辺の街に売却され、残された当時の体育館がミュージアムとして残されています。
中には当時の資料や展示物、ビデをなどが上映されています。収容者は全員タグを付けられて、アメリカ軍に管理されました。不便な収容所の中にも関わらず、それぞれの能力を発揮して新聞の発行、雑貨屋、美容院、理髪店、銀行などが運営されたそうです。敷地内は車に乗って走れるようにコースが整備されていますが、当時をしのぶ物はほとんど残されていません。 |
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マンザナを後にして、約60km北にあるビショップ(Bishop)で昼食。さらに50km北進しベントン(Benton)へ向かった。ここはアメリカでもあまり知られていないが、温泉が湧き出していて松の木で出来た樽風呂温泉がある。キャンプサイトにそれぞれ貸し切り露天風呂が用意されている。
雪の降る日に、それもひとりでお風呂に入りたいと訪れた東洋人を、主人は明らかに不審な表情で見ている。掛け流し貸し切り露店風呂の入浴料は10ドル、ゴールドラッシュの時代には一攫千金を夢見た人々がこの温泉に入って疲れを癒したのでしょう。
強者どもの夢の跡・・・ですね。 |
雪の激しさが増してきたので、逃げるようにベントンを後にした。案の定、南に向かう道はノロノロ運転、北には雪を求めて4WD車が列をなして走っていく。彼らの目的地は、マンモスマウンテンで、スキーやスノーボードが楽しめる。ベントンから約160km、今日はデスバレーの手前にあるパナミント・スプリングス(Panamint
Springs)で一泊。昼食に買ったサンドイッチの残りを食べて、やることもないので速めに就寝。
翌朝は、早めに目が覚めたので、目覚ましがてら周辺を走った。デスバレーまではここから山ひとつを越えなければならない。低気圧の影響で快晴にならなかったのは残念だが、どこまでも続く一本道をドライブ、1時間ほどで砂丘に到着。途中で購入したサンドイッチとオレンジジュースをカバンに入れて、砂丘に歩き出した。一番高い丘に腰を下ろして深呼吸すると、不思議な気分になってくる。
次の目的地、デスバレーの北端にある火山噴火でできたウベヘベ クレーター(Ubehebe Crater)までは、さらに50kmほど。ここまで来ると周囲の景色は一変する。ダートに分け入ることもできるが「4WDでないとダメ」と表示があるので、次回はフォード『エスケープ』あたりをレンタルして来てみたい。
デスバレーの広さは、長野県の広さほどあるという。その中にガソリンスタンドは数カ所しかない。だから、デスバレーに入る時はガソリンを満タンにしておく必要がある。今回は12月で涼しいから良いが、夏場だったらガス欠は命取りだ。随所にラジエター用の水もストックされている。その場所は、地図にもしっかりと明記されているから凄い。
ウベヘベ クレーターを散策して次の目的地、ゴールデンキャニオン(Golden Canyon)へ。ここは2-3kmほどのトレイルで、映画のワンシーンのような渓谷を歩いた。午後の太陽に岩肌が照らされると、黄金に輝くことからこの名がついたとか。ドライブの途中、コヨーテに何度も遭遇した。それ以外にもデスバレーならではの動植物も豊富で、それを目当てに訪れる人も多い。さすがに
12月なので、一面の花畑にはお目にかかれなかったが、以前訪れた時には道路沿いに草木はなかったような気がする。デスバレーの景色はまるで違う惑星に迷い込んでしまったようで、スターウォーズの撮影場所としても使用されていることはマニアの間では有名なエピソードだ。 |
デスバレーの景色は千差万別
(左から広がる砂丘、干からびた台地、削られた渓谷のトレイル、乾燥した塩の平原)
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デスバレーを後にして、最終目的地のラスベガスへ。ここで趣味の一品をピックアップする予定だ。2〜3時間のドライブで黄金色に輝くベガスの街に到着。しかし、疲れ果ててホテルのパーキングに車を止めて熟睡、少し寒かったが眠気が勝利した。朝、目が覚めてホテルのトイレを借り、そのついでに周囲のホテルを見物。スロットマシンに手を出すが、4回目くらいでいきなり100ドルをゲット。ここでやめれば80ドルの勝利だが色気を出して使い果たす。
午前中はこんな感じで過ごし、都合70ドルを失う。午後に目的の会社に電話を掛け、地図を購入して住所を確認し先方の事務所へ向かう。目的のモノを手に入れて、その後アウトレットに向かい家族へのお土産を物色。自分にはナイキのアウトドア用のランニングシューズを49.99ドルで購入。行く当てもなく一晩を過ごしたパーキングに向かう道すがら、エレメントを発見。今回の旅もエレメントだったら、もっと快適だったのに・・・と思う。
折角だから、ホテルのショーでも見ようと、夜8:30からのショーチケットを購入。それまでカジノで時間を潰すことにする。導かれるように座った台に20ドル紙幣を投入。最低25セントの台だと思って座ったが、実は1ドル専用台だった。最長で20回、マックスで遊ぶと6-7回で終了してしまう。「まぁ良いか」とゲームを始めると、数回目に1000ドルをゲットする。直ぐに精算し現金化、これで航空券とレンタカー代金、ガソリン代がペイできる。凄く得した気分で、リッチな気分で夕食はホテルのバイキングへ。ホテル毎に呼び物にしているので、そのクオリティーはかなりい高い。ひとりで食べるのも寂しいが、それを忘れさせてくれる美味しさにたらふく食べる。懐も腹も満たされて、チップも弾んだ。
その後、1時間半近いショーを見て、12時近くにロスに向かって走り出した。中間地点のバーストゥ(Barstow)のサービスエリアで仮眠。セダンのリアシートを倒しトランクスルーの状態にして、その中に寝袋にくるまって就寝。前日よりもかなり楽チンで日が登るまで熟睡した。目が覚めると、今回の渡米最高の天気。輝く太陽、澄み渡った青空、どこまでも続く道、カルフォルニアはこれではくては! |
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ところで、私はコリアンエアーのマイレージを貯めているので、選択できる時は極力選ぶようにしています。今までアメリカを4往復ほど、フリーチケットをもらった実績もあります。
1983年のコリアンエアー撃墜事件が記憶にある方は、良い印象を持っていないと思います。海外出張でいろいろな航空会社を利用しましたが、数ある航空会社の中でもお気に入りのエアーです。サービスもきめ細かいし、乗務員の対応も素晴らしいです。特に、機内食にビビンバが用意されているのが嬉しいですネ。今回、ロス行きの朝食に「お粥」も用意されていました。これで個人のテレビが付いていたら最強なのですが・・・ |
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今回も旅の途中、何台ものエレメントにすれ違った。6モデルのタンジェリンオレンジのEX-Pも見かけましたが、これが結構格好良かった。デスバレーで話しかけた(?)エレメントも06モデルで、オーナーは愛犬を連れて家族でオレゴンからやってきた。私も日本で乗っているというと、彼も『Love』という表現でエレメントを表現していた。デスバレーにエレメント、とっても似合っていました。 |
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